「宮古水上空港プロジェクト」 1982年
「水上空港プロジェクト」として津波対応を考慮した計画を1982年に関卓夫氏が日本大学大学院修士設計でまとめております。これは、岩手県宮古市宮古湾の藤原埠頭に10mの津波を想定し、水上空港ターミナル施設を内包した観光複合施設の提案です。その内容を紹介します。
■計画地宮古市
宮古湾は、その湾口が直接外海に向かず湾口狭く、奥行深く且つ、斜に構えた形状をもっている。これが第一に湾内を波静かとし、第二に津波に対して有利な形状となっており、さらにその広さは三陸随一といえる。以上のような宮古湾は、水上空港としての地形的条件が整う上に常風向と湾の奥行方向とは一致していて飛行艇のウィンドカバーレージも99%となり、加えてこの方向に着水帯を設定すれば、市街地に対する航空騒音を最小限に抑えることも可能となる。
■津波を考慮した3つのレベルの提案
本計画では施設全体で津波に対処すべく、津波来襲に対して建築的に3段階のレベルを設定した。第1
レベルは水がかぶってもよしとする交通流通レベル。第2レベル(5m)はある程度防ぎうる空港エプロンレベルであり、空港施設を中心とした経済損失の大きな設備を防護する。第3レベル(10m)はプラザ(人工地盤)レベルであり安全生活空間である。
■構造計画
柱は、階段・エレベーター・便所・設備配管などを内包した直径5mの円柱からなる巨大なものとして大スパンを構成する。梁・スラブは耐火性・耐久性・大架構性にすぐれたプレストレスコンクリート造とする。さらにこの大架構は、上部構造及びプラザ(人工地盤)を支えるとともに、架構全体で津波にも対抗しうる構造として提案する。
「小笠原水上空港プロジェクト」 1997年
東京より1000kmに位置する小笠原諸島への交通アクセスは、現在でも29時間に及ぶ船旅(3000t、1000人)を余儀なくされ、帰りは五日後の出航で、小笠原への旅行は必然的に一週間の日程となる。復帰当時から民間飛行機によるアクセスが考えられてきたが、特に復帰20周年を契機に実現化への検討が計られてきた。その結果、人が住む父島の北に隣接する兄島の海抜50m一帯、狭い非自然保護地区を生かしての敷地選定がなされた。中型ジェット機を想定して、滑走路巾150m、長さ1800mとなり、大規模な丘陵地の切土、盛土による造成がともなう。さらに無人島の兄島へはロープウェーや船および橋によるアクセスが必要となり大掛かりな工事となる。
そこで、兄島における空港建設が環境的な視点から日本大学理工学部社会交通工学科の4年生が卒業設計として取り上げ、島で自力でできる生活・処理能力(水、電力、食糧、ゴミなど)の需要・供給のバランスに見合うリゾート計画に提案し、加えて父島の交通計画をまとめた。その中で本土との交通アクセスとして水上飛行艇を導入して、自然破壊を最小限に止める海の滑走路による空港を提案した。
父島ではインフラストラクチュアの未整備によって島内の主産業である観光客の低迷が続いている。また島民生活の充実に欠かせない本土との緊急時の対応、災害時の即応、生鮮食料品の輸送が島民の大きな課題となっている。そこで水上飛行艇による本土からのアクセスとともに父島の総合的な交通システムとして電動バスや、水上バスによるインフラストラクチュアの整備を提案している。